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「歌集八月十五日」から



7944 「歌集八月十五日」から(1)
 「短歌現代」(短歌新聞社刊)という雑誌が、今年の八月号別冊として「昭和の記録 歌集八月十五日」という特集号を出しました。これは全国の1655名の歌人から、戦争体験を歌った和歌が寄せられたものです。和歌は、短い中に生々しい情念が織り込まれ、長い体験記とはまた違った形で訴えてくるものがあり、これもまた貴重な「戦争を語り継ごう」です。知人からこの雑誌の寄贈を受けましたので、その中からいくつかの歌をご紹介します。まず最初は、今日の日に因んで、開戦を詠んだものです。
「昭和の記録 歌集八月十五日」

7954 「歌集八月十五日」から(2)
 「歌集八月十五日」を読んで感じるのは、女性からの寄稿が多いということです。男女半々くらいでしょうか。一般に戦争体験記というと、やはり男性が書かれたものが圧倒的に多いと思いますが、それだけにこの歌集は、とくに女性の戦争体験を語り継ぐ貴重な資料と思います。このMLでも、男子に比べ女性の戦争体験者の参加が少なく、ほとんど投稿されないのが残念です。私初め元軍国少年の投稿はたいへん多いようですから、そこで今回は元軍国少女の皆さんが詠んだ和歌をご紹介したいと思います。とくに女性の皆さんのご感想をお待ちしています。
7959 「歌集八月十五日」から(3)
 前回に引き続き、元軍国少女の短歌の後編をご紹介します。女性の皆さんのご感想をお待ちしています。
7995 「歌集八月十五日」から(4)
 Iさんもおっしゃっていましたが、出征兵士の家族の中で、もっとも辛い思いをしたのはやはり母親でしょう。しかし、かつての「軍国の母」、「靖国の母」も、ご健在の方はもうほとんど少なくなりました。 「歌集八月十五日」の詠み手にもまったく見当たりません。そこで、子や孫が詠った短歌を通じて、その思いを感じとっていただきたいと思います。人それぞれに歌の解釈も違うようですから、なるべく感想を送っていただいて、お互いに理解を深めればと思います。
8018 「歌集八月十五日」から(5)
 続いて、元「軍国の妻」が読まれた短歌をご紹介します。
8034 「歌集八月十五日」から(6)
 元「軍国の妻」が読まれた短歌の続編です。ご感想をお寄せください。
8038 Re 元「軍国の妻」の短歌
 元「軍国の妻」が読まれた短歌の続編を拝見しました。いずれも女性の心情が歌いこまれていて感銘を深くしました。その中でも、次の歌によく似た体験をした女性(80才)からの聞き書きをつい最近、下記のサイトで更新しています。
 征きし夫の便りなければ吾子負いて引揚て来ぬ満州より
                       関口さとの

 私どもは、自分で歌を詠んだり手記を書かない多くの高齢者の体験を取材して記録することの意義を信じて<60年目の証言>サイトを立ち上げています。 下記ページの証言と関口さんの歌とを読み比べて頂けば幸いです。
「乳呑み児を背に満州から帰国するまで」

8039 Re 元「軍国の妻」の短歌
 新しい「証言」のご紹介ありがとうございました。
http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/w-T13-1.html「乳呑み児を背に満州から帰国するまで」
 拝見しました。女性の戦争体験の中でも、ひときわ悲惨でなのが旧満州からの引揚ですね。 「歌集八月十五日」には、その他にも多くの引揚体験を詠った短歌があります。また短歌ではありませんが、新谷陽子さんのお母様の井筒紀久枝さんが詠まれた俳句をご紹介させていただきたいと思います。
「平和への祈り 井筒紀久枝」

8041 「歌集八月十五日」から(7)
 引揚の話が出ましたので、今回は引揚体験を詠んだ短歌をご紹介します。
8071 「歌集八月十五日」から(8)
 引揚体験を詠んだ短歌の続編です。
8073 歌集8,15  ふと 昔の記憶が甦りました。記憶といっても体験ではなく、学生のころ(サンデー毎日だったかな?)読んだ、引揚者の体験談でした。大陸で地獄の敗走を続ける日本人家族のグループに対して ソ連兵が、「女を○○人 出せ」という要求を突きつけることがよく あったそうです。腕ずくで、グループの女性を陵辱されるよりマシだと、リーダーが 判断するのも無理からぬことでしょう。生け贄を決めるための残酷な「話し合い」、そして「決断」と「説得」が行われることになります。概ね 水商売出身者、未亡人、バツイチ女性 etc.が犠牲になることが多かったそうです。

 難民になる前の 社会的地位や立場、力関係がそれとなく 皆の意識の底で働くのかもしれません。手を合わせ、地面に額をこすりつけての懇願や説得…場合によっては恫喝、強要も、あったでしょう。ところが問題は 事が終わったそのあとだったそうです。生け贄になった人たちと、難を免れた人たちの間の、なんとも言えぬ空気なんですって。アッケラカンとお礼を言うのも躊躇われるし、無意識のうちに抱いていた差別感や、性行為に対するタブーから 「汚らわしい」という目で見る輩がメンバーの中に、結構いたとのこと…ありそうなことです。

 どうも極限状態になると、人間という動物は …。大陸に孤児が残されてしまうのは仕方のないことかもしれません。楠田立身さんの歌は …身体を張って仲間を守った女性、仲間のために戦った女性に、改めて謝意を表した三十一文字だと、私は捉えましたが、そういう犠牲者も、既に九十歳前後になっておられるのですなあ。HU


8077 Re 歌集8,15
 同じような体験を作家の五木寛之さん(1932年生まれ)が、朝日新聞に連載中の随筆「みみずくの夜メール」で書いていました。その時は、リーダーが水商売風の女性に頼んだところ、彼女は黙って立ち上がり、出て行ったそうです。やがて帰ってきた彼女を迎えて、なんともいえない雰囲気だった、そして彼もその女性に感謝している、と書いてあったような記憶があります。五木氏も、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)から引き揚げてこられたのですが、その時ソ連兵に家族が襲われ、お母さんを亡くされています。彼は「運命の足音」で、こう書いています。N
その夏、私は満十二歳だった。一九四五年(昭和二十年)のハ月、日本が第二次世界大戦に敗れた年である。当時、私たち一家は父の仕事の関係で、朝鮮半島北部の平壌という街に住んでいた。いまの朝鮮民主主義人民共和国の首都のピョンヤンである。戦争に敗ける、という経験は、私たち日本人にとっては、はじめてのことである。しかも情けないことに、いままで植民地として支配していた土地で敗戦国の国民になることの重い意味が、私たちにはぜんぜん理解できていなかったのだ。

8087 「歌集八月十五日」から(9)
 引揚体験を詠んだ短歌の続々編です。引揚体験をお持ちの方がおられましたら、ぜひご感想をお聞かせください。
8113 「歌集八月十五日」から(10)
 戦時中の食べ物の話が出ましたので、次は当時の食糧難を詠った短歌のご紹介です。
8142 「歌集八月十五日」から(11)
 HUさん、コウリャンの思い出をありがとうございました。お互いかつての欠食児童として、身につまされる歌が多いと思います。引き続き、戦時中の食糧事情を詠った短歌をご紹介します。


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