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 戦争と動物 


★犬も供出 ★ねじ曲げられた象の死? ★戦争と動物 ★犬・愛猫問題 ★兵士・庶民の戦争資料館 ★動物たち・社会への復讐 ★かわいそうなぞう 再問題提起 ★軍馬慰霊碑 ★軍馬の帰国は?  ★象の話 ★犬も猫も鼠もいなかった ★動物園の「戦争を語り継ごう」 ★「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー ★「そしてトンキーもしんだ」内容紹介 ★「可哀想な像」の真実

×印はリンク切れです

2653 犬も供出
 今日テレビを見ていましたら、戦時中の思い出で、愛犬を供出されられたという話を、73歳の女性がしていました。「いやだ」と抵抗したら、「非国民」と怒られたとか。

 我が家では、母がなけなしの指輪を供出したのを覚えていますが、犬は飼っていませんでしたので、この歳になって、初めて聞く話でした。何でも、食用や皮の利用のためだったとか。

 当時は人間様でも満足に食べられない時代ですから、犬を飼う家などは少なかったと思います。飽食時代の今は、ペットもブーム、戦力は豊富です(笑)。まさか住基ネットにペットまでは登録されないでしょうね。

 ネットを検索してみましたら、次のような話もありました。「犬の消えた日」(金の星社刊)という本にもなったそうです。

「戦時中動物も犠牲になった」

 (注)供出とは、戦時中、法律により、食料、物資などを、政府が民間に半強制的に売り渡させたことをいいます。
 戦争経験者の皆さん、「供出」の思い出をお聞かせください。(N)


2856 ねじ曲げられた象の死?
 かわいそうなぞう という作品のことについてどなたか教えていただけないでしょうか.戦争中、上野動物園の象やライオンなど猛獣が「処分」されたのは有名な話です.この時絶食処分になった象のワンジーについて私のHP/戦時下に喪われた日本の商船の「ばたびや丸」に掲載するためいろいろ調べました。
「ばたびや丸」

 これはシンガポール市長を経験し、この時は東京都長官だった大達茂雄氏の命令によるものだということは皆さまご存知でしょうか? 実は調べている過程で「かわいそうなぞう」という作品およびその作品に感銘を受けられた方々の感想などを知りました.作品自体は反戦を訴えるために誠実なきもちで書かれたものだと感じました。

 ただ驚いたのは、動物処分が「軍の命令」で実施されたと書かれていることです.ぞうの生命の尊厳を踏みにじる冷酷な軍隊・軍人というメッセージが感じられるのです.しかし軍はそんな命令を出してはいません。

 それどころか、これから1年半後に始まる空襲に際して「檻から猛獣が逃げ出したら、市民に危険がおよぶ」と憂慮して、対処しようとした軍人など一人もいなかったにもかかわらず「かわいそうなぞう」では軍はきちんと予測し危機管理をして、人命をすくうために動物を処分した、という逆のメッセージを発信してしまっているのです.これはとても危険なメッセージです。

 冗談ではありません.そんなご立派な防空司令部も軍も持たなかったからこそ日本国民はあれだけの大惨害に見舞われたのではないですか.と思いながらも、この「かわいそうなぞう」という作品に、このように書かれた経緯、あるいは「ぐんたい の めいれい」 についての根拠資料がもしかしたらあるのかな、ということについてあるいは作者のことなどについて、も少し詳しく知りたいと思っています。

 どなたかご存知ではないでしょうか? 資料関係などがありましたら教えてください。なお「上野動物園百年史」「「もう一つの上野動物園史」産経新聞「あの戦争」および当時の新聞には目をとうしています。 「かわいそうなぞう」は
「かわいそうな象」 で読みました。 (YM)


2856 Re ねじ曲げられた象の死?
 つづけざまにどうも、書き忘れたのですが有事法案との関連でこのテーマを発信しています。
かわいそうなぞう の一節です
「その ばくだんが,もしも,どうぶつえんに おちたら,どう なる ことでしょう。
 おりが こわされて,おそろしい どうぶつたちが 町へ あばれ出たら,たいへんな ことに なります。それで、ぐんたいの めいれいで、ライオンも、とらも、ひょうも、くまも、だいじゃも、どくやくを のませて ころしたのです。
 いよいよ、三頭の ぞうも ころされる ことに なりました。」
 教育出版『小学国語2上』(昭和55年)より

 小学校2年生の子がこれを読んだらどう思ったでしょうか.私のような頭の悪いコドモは「ふんふん、日本の軍隊はそこまで国民のことを心配して手段を講じてくれたんだ」と思ったに違いないのです。

 この世代がいま30代後半くらいでしょうか・・・さすがにものすごく頭のいい官僚を抱えている文部省です.こうやって育ったこどもたちがいま大人として有事法案の成立を支えているのでしょう。追記しました。(YM)


2868 戦争と動物
戦争中、上野動物園の象やライオンなど猛獣が「処分」されたのは有名な話です。
 「マヤの一生」という有名な作品、もし読んでおられない方がいらっしゃれば、ぜひ一読をお薦めします。戦争中に犬を飼うのはぜいたくだ、ということで、飼い犬を処分されるのですが、その処分のしかたが残酷です。ラストシーンは心を打ちます。子供の本です。

 それから、以下は子供からの質問です。
ある歌のなかに、自分で育てた馬が戦争に行くことになった。駅で見送るとき、万歳、をしなければならなくて悲しかった、というような内容だというのです。どんな歌か、ご存じの方はありませんでしょうか? (MT)


2869 Re 戦争と動物
 「マヤの一生」の件、教えていただきありがとうございます。読んではいませんが、調べたところ椋鳩十氏の作品ということなので、きっと素晴らしい内容なのだろうと思っています。ひとつ教えて頂きたいのです。「軍馬、軍犬、鳩、船員」という言葉がありまして、船員は、軍犬や軍鳩以下の存在だった、とよく書かれています。

 それはともかく、飼い犬や飼い猫まで殺す命令を政府がだしていたとは知りませんでした。 政府のどの部局が、いつ、どのような理由で処分命令をだしたのでしょうか?何か書類とか、あるいは政府の方針として打ち出されたものならば新聞や雑誌にも載っていると思いますので大体の日付けなど教えてください.

 飼い犬や飼い猫を飼うことがなぜ贅沢なのか、食糧の問題なのかどうか、当時の人々の考え方を知るうえで興味があります。(YM)


2870 Re 戦争と動物
ある歌のなかに、自分で育てた馬が戦争に行くことになった。 駅で見送るとき、万歳、をしなければならなくて悲しかった、というような内容だ、というのです。
 昭和16年にサトウハチローが作詞した、「めんこい仔馬」のことでしょうか? 戦後は歌詞を少し変えて歌われたようです。
 五、
 明日は市場かお別れか
 泣いちゃいけない泣かないぞ
 軍馬になって行く日にはオーラ
 みんなで万歳してやるぞ
 ハイドハイドウしてやるぞ

 次のHPで曲が聴けます。お聴きになったら、思い出される方も多いと思います。

「めんこい仔馬」
 「めんこい仔馬」のモデルになったという“勝山号”の物語です。
「馬の出征/泥と銃弾にまみれて異国の山野に消えたいななき」
 戦時中の馬の出征風景 ★「町の歴史」
  (N)
2871 Re 戦争と動物
椋鳩十氏の作品ということなのできっと素晴らしい内容なのだろうと思っています。
 椋鳩十氏の作品は、綿密な調査の元にかかれたフィクション、あるいは実話ですから、かなり当時のことが想像できるとおもいます。
それはともかく、飼い犬や飼い猫まで殺す命令を政府がだしていたとは知りませんでした。
 マヤの一生に関して言えば、政府が出していたのかどうかは定かではありません。物語のなかでは、「飼い犬も処分せよ」との命令がでました、と書いてあります。皆がしぶしぶ従う中で、マヤの飼い主、次郎少年は抵抗するのですが、留守の間に連れて行かれてしまいます。
 鉄砲の弾はもったいないのでしょう、バットで撲殺するのです。半死状態のマヤは、なんとか次郎の家にたどり着き、その縁の下で静かに死んでいくという話です。これは、文部科学省選定のアニメーション映画(1時間15分)にもなっています。

 次々と猛獣射殺の軍事命令が全国の動物園に出された中、動物を守ったひとの話が次のHPに書いてあります。

「名古屋市東山動物園初代園長・北王英一」

 戦争を語りつごうリンク集の、『一兵士の戦争体験』ビルマ戦線 生死の境, 小田敦巳さまの記述の引用です。

馬も内地とは異なる気候で馬糧も乏しく重労働。鼻カタルになって鼻から鼻汁を引っきりなしに出し弱っていく病気になったり、せ・ん・つ・う・(激しい腹痛)で、立っている力もなくなり倒れ苦しんだり、いろいろな熱帯の病気で数頭死んだ。
馬は本当に利口な動物で人間の愛情によく馴(な)れ、一緒に生活してきたのに可哀相でならない。戦争がなければ住み慣れた田舎で平和な日々を送っていただろうに。
我々兵隊は、馬のために随分苦労もさせられた。しかし切っても切れない間柄となっている。馬が悶(もだ)え死んで行くのを見ると哀れでならない。馬はどんな気持で息を引き取っておるのだろうか、馬は馬なりに死が分かるのだろうか、可哀相で痛ましい。
 この部分はいつも涙をさそいます。(MT)
2872 Re 戦争と動物
 小田敦巳さまには私もお世話になっています.ビルマ戦線の引用は、これは軍馬の話ですね.軍馬は最前線で戦友として戦死・戦病死していったわけです.軍犬の場合も戦死した場合には名誉の戦死として扱われ、靖國神社には軍馬の碑・軍犬の碑もあります。小田さまは、そうした体験を語っておられるのです.軍の命令で処分のために殺された動物、ということとは根本的に違うのではないでしょうか。

 名古屋動物園の話も読みました.初めて知りました.とても興味深いことです.ただ、上野動物園の処置命令は東京都長官からでていたのに軍の命令という間違った話が流布されています.名古屋動物園の場合も「軍の命令」だったかどうか、今すぐには無理ですが、確認が必要だろうと思っています。

 ホームページでは、上野動物園の処分から1年数ヶ月後のことで、現実に空爆の状況においつめられてのことですから、当然の予防措置として治安当局が命じたことはあったでしょう。

 今だって人を襲った犬が薬殺されることはありますよね.おまけに銃をつきつけたのは「警官」となっているし、おまけにこっそりと象を助けたのは中部軍管区司令部の三井高孟という軍人だったということが書かれていますね.いずれにしても少し時間をかけて調べてみたいことです.貴重な情報をありがとうございました。(YM)


2876 Re 戦争と動物追記
 今日あらためて考えたことがあります.マヤを殺す場面のことです。「鉄砲の弾はもったいないのでしょう、バットで撲殺するのです。」

 ことごとく物資が不足していた日本軍でしたが、三八式歩銃の弾だけは日露戦争の時、腐るほど造っていました。終戦まで明治時代の三八式歩銃を使用しつづけたことの理由の一つはタマがありすぎたから、という説もあるくらいです。兵士が弾を惜しんでバットを使用したというのはどう考えても不自然です.銃剣すら使っていない。

 だとすると、この命令を出した主体は、銃を持っていなかった、だからバットを使ったのではないか。つまり、地元の自警団とか、警防団とかそういうところだったのではないか。マヤを殺せと「命令した」のは、軍では決してなくて、自警団長のたぐい、つまり横町の旦那さんとか威勢のいい町のオッさんとか、庶民だったのではないか? だから「息子のバット」を使って殺すしかなかったのではないのか、と今は推理しています。
 文部省推薦の映画になったそうですが、ここらへんのことはどう描かれているのでしょうね? (YM)


2882 Re 戦争と動物追記
「鉄砲の弾はもったいないのでしょう、バットで撲殺するのです。」
 いや、これは私が勝手に想像しただけで、いい加減なものです。
ことごとく物資が不足していた日本軍でしたが三八式歩銃の弾だけは日露戦争の時、腐るほど造っていました.
 そうでしたか。食べ物ものもなかったし、外地では武器もなかったと聞いていたので、もう内地でも弾もないのか、と勝手な想像をしてしまいました。竹槍訓練があった、というので銃もないのかと思っていました。
だとすると、この命令を出した主体は、銃を持っていなかった、だからバットを使ったのではないか.つまり、地元の自警団とか、警防団とか
 私もそう思います。今手元に本がないので、後で図書館ででもみてきて報告します。子供の記憶では「役人の命令」だったというのですが、ちょっとあやふやです。
文部省推薦の映画になったそうですが、ここらへんのことはどう描かれているのでしょうね?
 さて、どなたか、ご覧になったら、お聞きしたいですね。(MT)
2879 Re 戦争と動物 愛猫クロの場合
 戦時中に殺戮された動物と軍の関与について、気になってしらべています。「孫たちへの伝言7」に「愛猫クロの悲鳴に今も罪のつぐない」という体験談が掲載されていました。

 昭和19年2月、著者は北海道小樽市の国民学校五年生でした.隣組の回覧版で、動物の供出を求められたそうです.「北の兵隊さんに毛皮を送るので家の犬猫は全部出すこと」「出さない家は非国民として厳罰に処し…」そして愛猫クロが殺されていく様が描かれています。

私は、動物を殺害したのは皇軍兵士ではあり得ないと思っていましたが、ここでも何百匹もの犬猫を殺したのは近所の「おじさん」たちでした。しかし一方、その命令の背後には「軍用毛皮」という要請があることもわかりました。これが軍から各隣組に命令、あるいは要請として指示されたものなのか、あるいは小樽市の隣組組織が自発的に供出を思い付いたものか、他の指示系統があったのかどうか、今はわかりません。

 ただ、間接的であるにせよ軍の関与はあったのかも知れません。実際に軍で犬や猫の毛皮を使った事例などあるのでしょうか? (YM)


2884 Re 戦争と動物 愛猫クロの場合
実際に軍で犬や猫の毛皮を使った事例などあるのでしょうか?
 戦時中、朝鮮半島の犬150万〜200万匹を集団屠畜し、関東軍の防寒服として使ったという話があります。
「サプサル犬保存会が日本に謝罪を要求」

 しかし内地での戦争末期の犬の供出は、軍用というのは名目で、真の目的は食糧難対策であったように思われます。下記のHPは、かつて「犬も供出」というタイトルでご紹介したものです。(N)

「戦時中動物も犠牲になった」
 
2885 Re 戦争と動物 愛猫クロの場合
実際に軍で犬や猫の毛皮を使った事例などあるのでしょうか?
 8年間従軍の後、戦後私財を投げ打って「兵士・庶民の戦争資料館」を主宰されておりました武富登巳男さん(昨年永眠)から北支ソ満国境警備兵のコート(外套)の内面に主として犬の毛皮を使用しており、一着当たり犬数匹が使用されたと聞きました。 関東軍100万人の他満壕開拓団など民間人も必要としたと思われますから殺された犬の数は膨大な数になるでしょう。 小生も着用してみましたが、ずっしりと重い感じでした。(TT)

2880 犬・愛猫問題
 ちょっとピント外れな事を言うようですが、『日本は広いなあ』とつくずく思いました。あの食糧難のさなか、私など飢え死にするかと思うほどひもじくて、地べたのものを拾って食べている時代に、愛犬や愛猫を飼っていた都市やご家庭があったのですか。感慨無量です。私達、銃後の国民生活を知っていたつもりでも、ほんのカケラしか知らなかったのだなあと思いました。「no more war」は、今後も注目しなければ……。(HU)
2881 Re 犬・愛猫問題
 食糧難だからこそ鼠の天敵である『猫』を飼っていた。(Ya)
2883 鼠問題
 2881様 そちらの文章が短くて解りにくかったのですが、私の周辺には、鼠が居なくなっていたのです。だから日本は広いと思ったのですが。(Ue)

2886 兵士・庶民の戦争資料館
8年間の従軍の後、戦後私財を投げ打って「兵士・庶民の戦争資料館」を主宰されておりました武富登巳男さん(昨年永眠)から北支ソ満国境警備兵のコート(外套)の内面に主として犬の毛皮を使用していた 一着当たり犬数匹が使用されたと聞きました
 「兵士・庶民の戦争資料館」のHPは、「戦争を語り継ごう−リンク集−」からもリンクしています。
「ようこそ『兵士・庶民の戦争資料館』へ」

 武富登巳男さんは惜しくも昨年亡くなりましたが、現在は奥様が遺志を継いで館長をされているそうです。
「・・夫の『生きがい』を胸に・・・」
 

2887 動物たち・社会への復讐
 いろいろな情報ありがとうございます.象に始まって犬、猫、ネズミまででてきて戦争のもう一つの側面を考えさせられました。
 御国のためにお役にたて、命を捧げろ、正義のためだ、従わないのは非国民だと叫ぶ威勢のいい親分や元気なおっさんたちがいた一方で実際に命を捧げ犠牲になって殺されていったのは、抵抗のできない弱い動物たちだったのですね。そして、そういう社会の構造は、今もこれからも基本的には変わらないのだとおもいます。私はその社会に復讐をしたいと思います。

 ジョン・レノンの葬儀後の1月18日にヨーコが新聞に載せたメッセージ『私はジョンを守れなかった自分自身と、詩人が撃たれるような社会を作った人々に怒りを感じています。唯一の復讐は、この社会を作り変えることでしょう。そして、唯一の慰めは、それが実現可能であることです。私たちは互いのため、子供たちのために、この地球上に平和な世界を創造することが可能なのだと示さなければなりません』 (YM)


2888 Re 動物たち・社会への復讐
 はじめまして。小学校教員をしています。 昨日、小学校4年生の子どもたちと動物管理センターに行ってきました。4年生では市の施設(主に浄水場・下水処理場・清掃工場)を見学します。 初めての試みとして、動物管理センターも入れました。北九州市では捨て犬が年間で700頭も処分される現実、ネコは持込で即日処分という現実を知ったとき、子どもたちは本当に驚いていました。

 捕獲された犬たちのタイムリミットは5日間です。ぼくらは保護(捕獲)された犬たちのいる棟も見学させてもらったのですが、十数匹の犬たちがまったく吼えなかったのには驚かされました。迫りくる死をまるで達観しているかのようでもありました。犬やネコたちは処分機の中で一酸化炭素を注入されバタ狂いながら死んでいきます。アウシュビッツなみです。

 捕獲以外の一連の作業が完全に機械化され、灰を取ることのみが人間の仕事です。ちなみにその灰は埋め立て地に大半が行き、ごく少数は園芸用の飼料(骨粉)行きだそうです。戦時も平時も弱き者、小さきものたちのたどる先は変わらないようです。

 ぼくは「障害」を持った人達が戦時中に受けた仕打ち、体験を綴った書「もうひとつの太平洋戦争」の序文の中の鶴見俊輔さんの言葉

「・・・健康な若者が自らの健康と若さにみちたりてくらす流儀の中で,平和への意志が育つとは言えない。戦争時代と身障者という対極のつくりだした思想上の主題は,今の私たちにとって、平和への意志をよみがえらせる一つのいとぐちである。健康に甘んじているものは、それなりに平板な世界の姿をつくりやすく、その故に、平和もまた退屈な、かわりばえのしないものに感じられてくる。健康者はこのようにもろく、このようにおろかだ。」
 をかみ締めながら、がんじがらめの教育現場で子どもたちに向き合って生きたいと念じています。 (Ya)
2991 かわいそうなぞう 再問題提起
 しばらく前に「かわいそうなぞう」という作品をめぐって、空襲時の被害を避けるために殺戮された(とされる)動物園の猛獣たちのことを書きました。軍は猛獣を殺せなどと命令していないにもかかわらず、「かわいそうなぞう」では軍の命令があったとしているために、帝都防衛にあたっていた帝国陸軍はそこまで真剣に都民の生命を心配してくれている存在になっちゃっていると書きました。

 この件について気になって調べていたのですが.梨の木舎発行、長谷川潮評論集「戦争児童文学は真実をつたえてきたか」を知り、読みました。そして何と1981年9月の段階で「季刊児童文学批評」創刊号に同様の主旨が展開されていたことを知りました。

 長谷川潮氏は「かわいそうなぞう は決してすぐれた戦争児童文学ではないのである」と結論づけてこう書いています。

軍や政府の当局者は、猛獣が市民に危害を加えるのを心配するほど人道的だったろうか。彼らが本当に人道的だったら、庭先の小さな防空壕や、火叩きとバケツによる消火作業などまったく無力であることを、国民に告げるべきだった。B29のような爆撃機の空襲には、軍事的にほとんどなすすべのないことを、正直に言うべきだった。

そうすれば、国民はもう少し自分で身を守り、何十万人もの人が空襲で殺されることはなかっただろう。あと半年早く降伏していれば東京大空襲はなかったし、せめて半月だけ早く降伏していれば、広島も長崎も原子爆弾を投下されることはなかったのだ。敗北以外のなにものもないことを知りつつ、あそこまで戦争を続行し、死ななくてもいい人々を多数殺した連中が、猛獣による危害を本当に心配するほど人道的などということはありえなかった。

しかし「かわいそうな ぞう」をはじめとして、人間を守るために猛獣は殺されたという立場から書かれた作品は、虐殺を決定した人々を人道的だと見ていることになるのである。

 そしてぞうを殺された怒りの持って行き場が破綻した結果、「かわいそうなぞう」の最後の一節は上空を飛ぶ米軍機に向かって「せんそうをやめてくれぇ」(昭和18年の時点ではありえない話)というふうに終わらざるを得なかったと指摘しています。

 つまり「かわいそうなぞう」は国民の生命財産を心底心配した帝国陸軍が動物を殺す命令をだしてくれたこと、戦争をやめてくれない「暴虐鬼畜米英」に怒りの矛先を向けるべきことをこどもたちにしっかりとメッセージし、そのメッセージは学校教育の現場を通じてしっかりと伝達されてきたのです。

 戦争児童文学の名作なるものが、かくもお目出度く捏造されたプロパガンダであったことを1981年の段階で指摘されていたことをはじめて知りました。この作品の作者 土家由岐夫なる人物にも興味がでてきています。この男はもしかしたら日本の軍国主義復活を目論んでいたのかもしれません。(YM)


2991 Re かわいそうなぞう 再問題提起
 ルール違反をします。「かわいそうなぞう」が学校教育の現場でどのように教えられているか、下記のような面白い話がWEB上に流れていました。転載したいと思い配信者への連絡に手をつくしたのですが、結局不明でつながりませんでした。転載の許可の連絡が得れなかったことをお断りし、ルール違反の責任はYMに一切あることを明記したうえで転載いたします。とても面白かったものですから、(著作者のかたがわかったらお報せいたします)
 あなたは「かわいそうなぞう」というお話を知っているだろうか。舞台は戦時の上野動物公園。日本では「敗戦」という二文字が、人々の頭から離れなくなっていた。人間でさえ食べ物が手に入らないというのに、ましてや動物なんて・・・。とうとう動物達の「安楽死」が決定された。 飼育員は叫ぶ、「戦争のバカヤロウー!」と・・・。(以上、とてもいいかげんな要約でした)

 そう、事件は突然起こりました。「さーて、つぎはこくごのじゅぎょうだ!」なにも知らず無邪気にはしゃぐ少年「ちょび」今日から国語は新しい課題「かわいそうなぞう」に入る。担任の高岡先生が入ってきた。「きぉーつけっ、れいっ」授業、スタート。歯車が狂い始める。

 先生の目元が腫れていることなんて、小2のジャリ供が気付くはずもない。先生は、黙々と教科書を読み始めた。ふと気付くと、先生の声がかすかに震えている。顔を見てみると、頬に涙が。-えっ?せんせいないてるの?-しかし、そこはさすが教員、先生は最後までお話を読み切った。

 そして静かに言った、「どうしてみんな泣かないの?」-ほえっ?-ジャリ供の顔が一斉に「?」マークに・・・。みんな必要以上にあたりを見回していた。質問の意味がわからない。「だから、どうしてみんな泣かないのよっ!」次の先生の声は、すでにもう女性固有のヒステリックな金切り声になっていた。頬には滝のように流れる涙。

 一方こちらは目が点。ジャリ供には何が起こっているのかわからない。でも、そこはやっぱり「ジャリ」怒鳴られれば、「おこられているのかぁ」ということは理解できる。しかも先生泣いてるし・・・。
 でもなんで怒られなければ? 気の弱い子達は、もうすでに泣きが入っていた。もちろん「おこられた」からである。そしてどこにでも必ずいる「おべっか」使い。声にならない声を上げて、「ぼく、ないてるもん。」おいおい、お前小2だろ。将来が楽しみである。

 教室内は修羅場と化していた。沈黙の中にこだまする、すすり泣くジャリ供の声。先生は黙して語ろうとしない。「だからぼく、ないてるって・・・。」お前はもういい。そしてついに、先生から、驚くべき言葉が。
 「泣かない子は家へ帰りなさい!」-ほえほえ?- -なんですと?- もう誰も先生の言葉の意味がわからない。そんなことを言われて、ほいほい帰るジャリがいようはずもない。なぜか先生に許しを請うジャリ供。「せんせい、ごめんなさい。」「なきますから・・・。」変だ、絶対変だ。

 そしてついに先生から死刑宣告が。「帰りなさい!」一斉に泣き出すジャリ供。もうどうしようもない。泣きながら、とにかく帰り支度を急ぐジャリ供。身の危険を感じているのだろうか。そして集団下校。「ちょび」はこの日、「理不尽」を学んだ。

 小3になった少年「ちょび」は、友達と恩師である高岡先生のお宅に遊びに行くこととなった。そこで聞いた先生の一言に「ちょび」は恐怖を覚えた。「また、やっちゃったのよー。」この高岡先生なる人は、子供の心をとてもよく理解してくださる先生なので、小1、2年の担任ばかり任されるのです。そう、つまり「かわいそうなぞう」の恐怖は永遠に続くのである。


2991 Re かわいそうなぞう 再問題提起
 とても考えさせられる問題提起でした。ありがとうございました。
つまり「かわいそうなぞう」は 国民の生命財産を心底心配した帝国陸軍が動物を殺す命令をだしてくれたこと、 戦争をやめてくれない「暴虐鬼畜米英」に怒りの矛先を向けるべきことを こどもたちにしっかりとメッセージし、そのメッセージは学校教育の現場を通じて しっかりと伝達されてきたのです。
 いつ習ったのかどうか忘れたのですが私がこの話を読んだとき、軍が真剣に都民の生命を心配してくれているという感謝よりも、何も悪くない動物たちまで殺すなんて軍はひどい、戦争はひどい、いやだ、と感じたように思います。

 よく考えれば、飢餓状態のために凶暴化せざるをえない動物を安楽死させるのは安全保障の問題ですね。しかし、Mさんの話を読むまで、私は思いもよりませんでした。ただ、そういう命令をした軍はひどい、さらには飼育員のおじさんも、ちょっとひどいと・・・やはり、戦争のリアリティが足りないのでしょう。

 しかしMさんが紹介されたWEB上に流れていた話のように教える先生によって違うと思います。先生が感情的になってしまったら、たいていはシラケるのがオチと思いますが。そもそも「ちょび」くんや他のクラスの子たちは動物がかわいそうだとは思わなかったのかしら。皆さまの感想も聞いてみたいです。(RH)


6483 軍馬慰霊碑
 以前に忠霊塔の話が出たので、その後気をつけていたところ、今日、新板東第八番札所の境内で発見しました。黒御影に『軍馬慰霊碑』の文字、脇に とつ国に征きてかへらぬいくさ馬 もの言ぬこそいさを尊し  裏面には、復員(中支)三十三年記念 命かけし中支那遠くはるかなり 長江の水夢にうずまく いろいろお話を聞きたいところですが、建立者は十数年前亡くなっておられました。KK
6492 Re 軍馬慰霊碑
 以前忠霊塔の話を出したTaです。皆様、ごぶさたしております。普段、貢献できることがあまりないので、たまには、資料の紹介でもさせていただこうと思いました。千葉県には忠霊塔・忠魂碑等の慰霊碑が、781基あるそうです。東京近辺の忠霊塔・忠魂碑の研究としては、海老根功氏が、県別に数冊の本を出版されています。千葉のものは:「千葉県の忠魂碑」(千葉県護国神社、平成10年)その他にも、東京、群馬、埼玉、川崎、茨城などが出版されています。

 海老根氏は、戦争で弟さんを亡くしたことをきっかけに、忠霊塔に興味を持つようになり、退職後に車の免許を取って、近辺の忠霊塔を訪ねて回り始めたそうです。それぞれの碑に関して、写真、住所、県立年月日、著名者、慰霊されている人の数、などがリストされています。柏市にも11基あるそうです。(ただし、軍馬慰霊碑は含まれていないかと思います。)最近では、国立歴史民俗博物館が、海老根氏の調査をもとに、全国で同様な調査を行 いました。「非文献資料の基礎研究」報告書:近現代の戦争に関する記念碑というタイトルで2003年3月に出版されています。このところ、学者たちの間でも忠霊塔にたいす????


6499 Re 軍馬慰霊碑
 資料の紹介ありがとうございます。忠霊塔の話が出てから、市内散策の折 時々見かけ、戦後も破棄されず残っていたのだな、と思っておりましたが、11基もあるのですか。軍馬慰霊碑は昭和54年5月の建立、この付近観音信仰が盛んだったそうで、江戸時代は街道筋に馬頭観音の碑が建てられたそうです。そんな土地柄から軍馬の供養を思い立たれたのでしょうか。
 予科練同期の渡井俊雄氏が県内甲飛戦没者の墓参を思い立ち、小生もお手伝いして、東葛地域に9カ所確認しましたが、中には門前に忠霊塔ともいえる施設もありました。KK

6504 Re 軍馬の帰国は?
 軍馬慰霊碑について、教えて頂きありがとうございます。どこかで「戦争が終わり、生き残った軍人や民間人は、日本に帰ってきたが、軍馬は1匹も帰ってこなかった」というような文章を読んだ記憶があるのですが、さだかではありません。正確な資料・文献をご存じの方、教えて下さい。No
6516 Re 軍馬の帰国は?
 一頭も帰って来なかったと言うことは沢山の方々が書いています。それだけ皆さんが哀れみを持っているのでしょう。軍馬のことに関心を持つ方々の投稿が続いて嬉しいことです。私のHP「軍隊まんだら」の中の「軍馬たちの末路」をご紹介致します。
軍馬たちの末路
 中国の野戦で軍馬の最後を何度か見た。脚を折ったのか泥濘のなかに遺棄された軍馬の脇を行軍したことがある。雨のなか頸だけを高くかかげて隊列について行こうともがいていた。倒れた軍馬は蹄鉄を外され手綱を切られて遺棄されるとか。恐らく安楽死させるに忍びなくて後続する部隊にそれを委ねて遺棄したのかも知れない。また、私の馬は一晩うなって病死した。横たわる馬の口には、どうしてもうまく末期の水を飲ませることが出来なかった。何か良い方法が無かったのかと今でも悔やまれる。しかし本当の軍馬の受難は敗戦に始まった。それ迄は生きている兵器と言うことで兵以上に大事に扱われていた。敗戦になっても何故か軍馬の引き渡しは行なわれず。寒くなっても広場に繋がれた儘だった。

 餌不足で痩せこけ、氷雨の降る時などガタガタ震えて立っているのがやっとで、骨で尖った尻が10センチぐらい左右に震えていた。二合ほど入れたカラスムギのエサ箱を棒で押しやって与えた。エサを持って近づくと飢えた馬は狂ったように暴れて抱き込まれてしまうからだ。その僅かなエサも掻き寄せる前脚にひっくり返されて土に散り、口に入るのは幾らも無くなるがどうしょうも無かった。 嵐の晩に二頭盗まれたことが有った。足跡を辿ったら中国人部落の石畳で消えていた。飢えないですむだろうとむしろ安堵して帰って来た。

 夜中に密殺して食用にしたこともある。骨は土間に埋めた。固い肉を皆で黙々と噛んだ。冬近くになって、やっと中国軍に接収された。使役に出た戦友から、中国の将校を乗せて元気に歩いている馬を見た、と聞かされて涙が止まらなかった。これで良かったのだと皆と話し合った。私たちは何とか帰る事が出来たが、軍馬で祖国の土を踏んだのが一頭でもいるだろうか。私の地方は馬の産地だったので、軍馬の慰霊碑をよく見かける。その前に立つと、しばし合掌して哀れな軍馬たちに思いを馳せて瞑目する。(この文は朝日ソノラマ、戦争、上巻に掲載されたものです。昭和62.7.31日発行)

尚「軍隊まんだら」は先にNさんからご紹介がありましたが、出版致しました。御覧になって下さい。佐藤貞著、新風舎、定価:1300円+税 TS
6519 Re 軍馬の帰国は?
 終戦時ビルマ戦線におられた方から、現地住民にあげたと聞いたように思いますが、不確実です。陸軍のことはよく分からないのですが、軍馬も兵器でしょうか? だとすると占領軍に引き渡したのでしょうか? 申し訳ありません。私は何も分かりません。ただ慰霊碑を建立するほど、深い哀惜の情があったのだなと感じた次第です。KK
6532 Re 軍馬の帰国は?
 亡父は輜重兵から憲兵に転身したので、馬のことは良く知っていたと見えて、幼かった頃G大学乗馬クラブで乗馬、引き馬なども教えてもらいました。馬と言うのは大変に繊細で、利口な動物だけに、一旦故障が出ると容易に直すことが出来ません。特に足を折ると500キロ前後の体重を支えることが出来ず、折れた足が壊死するのを防ぐことはほぼ不可能で、残りの脚もやがて使えなくなり、もがきながら死んでしまうのだとのこと。やむ得えず、そうした廃馬は出来るだけ早く始末しなければ成らなかったとのことです。

 輜重隊にも憲兵隊にも軍馬一頭一頭が何処からやってきたものか、購入したのか、徴発したのかの記録なく、止むを得ず廃馬のたてがみの一筋を切り取って編んだと言う乗馬用の鞭が遺品として残っています。これは芯が藤製の物に皮まきしたもので、件の編み紐は手掛けとなっています。何頭分かは知りません異国の地で土になったのは兵士だけでなく馬たちも。「馬を始末する時は本当に嫌なもので、銃口を額につきつけるのは必ず世話をした兵でなければならない。そうでなければ危険を感じて暴れるから。」 TM


6930 Re 象の話
 先日NHKで立て続けに二本放映されていました。アーカイブズで「そしてトンキーも死んだ」その時歴史が動いたで「焼け跡にゾウが来た」どちらも上野動物園の話です。私は小さい頃から休日によく連れて行ってもらいました。動物の中ではゾウが一番好きです。今でもドキュメンタリー番組はビデオに録画しています。
 トンキーの話は絵本にもなっておりあまりにも有名ですが、これも戦争の悲劇ですね。対照的にインディラの話は希望にあふれています。私が何度も見たゾウはあのインディラだったのです。解説の天野祐吉さんが、「ゾウが子供達にとって平和の象徴だったのではないか」と言っていました。

 全国の子供達からの希望で、「移動動物園」として貨車に揺られて日本全国を回ったとの事ですが、皆様のお住まいの近くにも行きましたか?「二度とゾウを餓死させてはならない・・・」と番組は締めくくっていましたが本当にそう思います。MI


8095 犬も猫も鼠もいなかった
 いつぞやは、供出のことでオオボケかまして失礼しました。でも、おかげで当時の空気のようなものが伝わってきました。先日、戦争体験者のお話を伺うことができました。明治44年生まれの「丙種」で戦地には行かなかった男性と、敗戦当時高校生だった女性。
 当時、「犬まで供出させられた」とのこと。
 毛皮にするから、と。
 だから、当然、野犬はいなかった。
 それから犬は食用になった。
 猫も鼠もいなかった。
 食べていた。
 ウサギがおいしかった、蛇がおいしかった、蛙がおいしかった、イナゴも食べたという話を伺いながら、なんてたくましいんだろうと思いました。このMLでもこのような話は出ましたから、素直に気持に入ってきました。 引き上げ者のご苦労が、今ここで語られていますね。みな、必死で生きていこうとした。 今、私たちにはたえられないと思います。 だから、今の若い人たちはどうして簡単に自殺してしまうんだろうと考える人たちが多いのでしょう。

 ふと思いました。
 食欲と言うのは、人間の最も基本的な欲望です。
 飢餓が、人間の生きようとする本能と強く関わっていたのではないかと。
 無責任な発言かもしれませんけど。
 というより、また、ずれてるかなあ……


8112 Re 犬も猫も鼠もいなかった
 戦争体験者のお話のご紹介ありがとうございました。
当時、「犬まで供出させられた」とのこと。毛皮にするから、と。だから、当然、野犬はいなかった。それから犬は食用になった。猫も鼠もいなかった。食べていた。ウサギがおいしかった、蛇がおいしかった、蛙がおいしかった、イナゴも食べたと
 犬や猫が毛皮のため供出させられたという話は、以前出ました。犬や猫がいなかったというのは、人間様が食べるのにも事欠いているのに、とても飼う余裕がなかったということもあります。時は変わって、今やペット・ブームの時代ですが、地球上にはまだ飢えで死んでいく子どもも大勢います。

 ウサギ、蛇、蛙、イナゴは、戦時中でなくても、それ以前から農村などでは食べていたと思いますが、猫や鼠まで食べたという話は聞いたことがありません。鼠はわが家の天井裏を走り回っていましたが、さすがに食べることまでは考えませんでした。
 時は変わって、ウサギはフランス料理で、蛙は中華料理でいただく時代で、イナゴの佃煮も高価な珍味になりました。ここで↓買えます。

福島県湯川村ふるさと産品いなごの佃煮通信販売
 そういえば、戦時中大阪の天王寺動物園で、処分のため餓死させた象の肉を園長たちが食べちゃったという話がありました。戦後それをモデルにして、吉村公三郎監督による「象を喰った連中」という映画ができました。N


20887 動物園の「戦争を語り継ごう」 N
 このMLでも話題になりましたように、戦時中は各地の動物園でいわゆる「猛獣処分」が行われ、多くの罪のない動物が殺されました。この悲しい出来事を伝えようと、大阪の天王寺動物園では目下「戦時中の動物園」を開催していますが、その模様を昨日の朝日新聞大阪本社版夕刊が伝えています。
天王寺動物園(大阪市天王寺区)の「戦時中の動物園」展は、06年に始まった。宮下実園長(58)は「戦後60年を過ぎ、戦争関 連の催しが減りつつあった。そういう時だからこそ、動物園から戦争の悲しみを伝えようと、職員たちが考えた」と振り返る。 登録番号180 天王寺動物園「戦時中の動物園」展

20931 戦中・戦後をともにした動物たち N
 先に大阪の天王寺動物園の「戦時中の動物園」展をご紹介しましたが、東京の昭和館でも「戦中・戦後をともにした動物たち」という特別企画展を開催中(08/8月末まで)です。 「戦中・戦後をともにした動物たち」
今日の毎日新聞のコラム「発信箱」は、この特別企画展について書いています。
会場には殺処分された上野動物園の猛獣たちのはく製も展示されている。耳を澄ませば、雄ライオン「アリ」のたてがみから無念のうなりが漏れてきそうな気配である。「発信箱:忠犬たちの夏=玉木研二(論説室)」X

21322 「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー N
 今朝(08/10/15)のNHKテレビのニュースで、アメリカの歌手、シンディ・ローパーのインタビューが放送されていました。彼女は童話「かわいそうなぞう」の英語版を朗読してCDに録音していますが、読むたびに涙が出ると言っていました。 「かわいそうなぞう」は、戦争末期、安全のため飢え死にさせられた東京・上野動物園の象をテーマとしたノンフィクションの童話で、かつて小学校の教科書にも載りました。

シンディがこの童話に出会ったのは、初めて日本へ来て広島の原爆記念館を訪れた時のことです。彼女が「このような戦争の悲惨さを伝えていくため、私にできることがあればやりたい」と言ったら、この本の英語版を紹介され、一読して泣いてしまったそうです。この童話を息子さんが赤ちゃんの時から読み聞かせ、朗読のレコーディングの時も、息子さんに対するように思いを込めて読んだとのことです。 「シンディ・ローバーさん かわいそうなぞう英訳版の朗読で平和への願いを訴え」

「かわいそうなぞう」の紙芝居は下記で見ることができます。 「紙芝居お部屋 今月のお話 かわいそうな ぞう」


21326 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー YM
 シンディ・ローパーが何者かしりませんが「かわいそうなぞう」のごときインチキ本のネタを世界にばらまくようなことはやめてほしいものです。 この本がいかに出鱈目をもってこどもたちの頭に誤った情報を刷り込んでいるか長谷川潮氏などが厳しく批判していますからそのシンディ・ローパーとやらにはぜひこっちの著書も読んでほしいと思います。


21331 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー N
 YMさんは以前にも、上野動物園における動物処分は軍の命令ではなく、東京都長官の命令であったと、この童話を批判されましたね。 確かにそのとおりですが、ウィキペディアには<空襲時に逃げ出したら危険ということで陸軍の判断に基づき地方行政から猛獣たちを殺処分する命令が出された>と書いてあります。 いずれにせよ軍が直接動物園に命令するのは権限上できないので、軍から行政機関へ何らかの要請ないし指示があり、それによって都や市が決定したのは事実のようです。しかし当時の軍の要請というのは、実質的には命令みたいなもので、時には神戸のように憲兵隊が威嚇するといったことは、この問題以外にも例が多かったと思います。
「かわいそうなぞう」の「ぐんたいの めいれいで」という記述は、確かに形式的な意味では誤りですが、それでこの本の価値が大きく下がるということはないと思います。


21340 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー YM
 論点が全くちがいます。 だいぶ以前に同じ論点で投稿した記憶ですが、再度掲載します。
21344 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー N
論点が全くちがいます。
同感です。 私は何も土家由岐雄やシンディ・ローパーに格別の心情的な思い入れはなく、彼らを賞賛しているわけではありません。まして彼らの「犯罪的視点」に“同調”したり、“支持”しているわけではありません。ただいつも皆さんにご提供している情報の一つとして、客観的な事実をご紹介しただけです。
西羽さんが同調されている次の論点はもっと犯罪的です。 軍が国民の生命の危機を心配して猛獣の殺害を間接的に命じた、とする犯罪的な見解です。
私は、<軍が国民の生命の危機を心配して猛獣の殺害を間接的に命じた>という見解の後段はともかく、前段にはまったく同調してはいません。どういう根拠でそう決め付けられるのでしょうか?

軍が空襲の被害をできるだけ防ごうとしたのは、国力ひいては総合戦力の損害をできるだけ少なくし、また民心の戦意喪失を防ぐという意味からでしょう。「国民の生命の危機を心配して」ではないと私も思います。神戸の動物園で憲兵隊までが圧力をかけてきたというのも、決して国民の安全を第一に考えたものとは思われません。

他の例を挙げれば、「学童疎開」を企画・立案したのも文部省でなく、当時の陸軍省防衛課長の上田昌雄中佐(上田博章さんのご尊父)だったと聞いています。これも、上田昌雄氏個人の思いはともかく、陸軍としては学童たちの生命を守るというよりも、防空や本土決戦の足手まといをなくし、また次代の戦力を温存するという目的でした。

当時の軍国主義教育はわれわれ少国民を天皇の醜の御盾として練成することを目的としていました。大日本帝国が私たちの生命を鴻毛のように軽く考えていたことは、身に滲みて知っています。ところでYMさんは<(軍が)猛獣の殺害を間接的に命じた>という 後段の見解も「犯罪的」として否定されるのでしょうか? もし肯定されるのであれば、その命令の理由は何とお考えになりますか?

まだ起こってもいない、しかし将来起こるかもしれない国民の悲劇を心配をして猛獣殺害を命じてくれた 親切で立派な帝国陸海軍という妄想を 子どもたちの頭にきざみこむという
小学校低学年以下の子で、あの童話を読んでそこまで妄想をたくましくできるのは、YMさんのような神童だけじゃないでしょうか? ほとんどの子は、ただ単純に殺された動物に思いを寄せて、戦争は恐ろしい、戦争は悲しいと感じるはずです。帝国陸海軍は親切で立派であったと感じるよりも、非情であったと感じるのがごくふつうの反応と思います。

[no_more_war:21322] でご紹介した紙芝居では、どういう理由か、原文から「ぐんたいの めいれいで」という部分が省かれていました。こうすれば事実に忠実で、よけいな誤解を与えずにすむという 配慮からでしょうか?


21350 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー YM
 最初にこの話をご紹介された21331 の文をN様は「それでこの本の価値が大きく下がることはないと思います」としめくくっておられることから、自然に「この本には(程度はわからないものの)大きな価値がある」と総体的に支持され同調されているのだな、と判断てしまうのは、これはごく普通のことではないでしょうか。

だから私は、この本の作者がどれほど酷い人物か、また書かれた主題がどれほど酷い歪曲とプロパガンダに満ちているかをご紹介し、この本には全く価値がないことを説明しようと思いました。 「それでこの本の価値が大きく下がることはないと思います」 というのは客観的事実ではなくてNさんの「ご意見」ですよね?

それにしてもどこかの田舎の山中ならまだしも、東京のど真ん中で空襲にきたB29の編隊に向かって飼育係が空見上げ「戦争をやめてくれぇ」と口々に叫ぶ光景など現実には(局所的な例外はあったかもしれませんが)あり得ません。 空襲を体験された方のご意見を伺いたいものです。 しかも動物虐殺のあった昭和十八年には、まだ国民は戦勝気分の余韻に浮かれていた時代であり、戦場は遠い南方で、現実にB29が上空に飛来するのは昭和19年の末のことです。

こんなイメージを子どもたちに読み聞かせることに意味があるのか?甚だ疑問です。ただ歴史に対する子どもたちの誤解を後押しするだけです。 そんな細かいこと、たかがこども相手にどうでもいいじゃないかという立場は私はとりませんし、たとえこども相手でも事実は正しく、あるいはファンタジーであるなら価値あるファンタジーとして出版するべきだと思っています。

軍が国民の生命の危機を心配して猛獣の殺害を命じた(あるいは間接的に命じた)というのはこの本の主題の一つです。 だから同上の根拠でこれにも同調されているのだと思いましたがこれは私の誤解だったのですね?

「小学校低学年以下の子供」の感受性を舐めてはいけないと思います。あの本を読めば、神童のことはわかりませんが私がそうだったように感受性だけが強くしかし頭の悪いこどもは、戦争は恐ろしい、悲しい、というイメージと同様に漠然とながらも、信頼し頼りにできる軍隊、というイメージを記憶のどこかにとどめるのではないかと思います。もちろん個人差はあるでしょうが。 だからこそ児童文学者土屋は「かわいそうなぞう」を書いたのです。

N様がおっしゃっているとおり、動物虐殺は国力ひいては総力戦力の損害をできるだけ少なくし、また民心の戦意喪失を防ぐという意味からであったというご意見に私も賛同しています。昭和十八年という時点ですから内地ではまだ戦勝気分が抜けきらず、たるみきった国民どもに対する一種のショック療法、見せしめとして軍も関与しながら動物虐殺の決定が行われたというのが事実に近かったのではないかと私も思っています。

そんな自分勝手な人間の都合による「見せしめ」というくだらない理由で尊い命を奪われていく象たちの運命こそは真に悲惨で哀れです。 もしも土家がそのような馬鹿らしく愚かな出来事としての動物虐殺の悲劇をこどもたちにイメージさせることに成功していたとすれば、「かわいそうなぞう」は真に大きな価値をもつ児童文学書となり得た可能性はあったと思います。


21351 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー N
最初にこの話をご紹介された21331 の文をN様は 「それでこの本の価値が大きく下がることはないと思います」 としめくくっておられることから、
最初にご紹介したのは21322です。 それに対し、YMさんがこの本を「インチキ本」とか「出鱈目」とか痛烈に批判されましたので、以前「軍の命令はなかった」と言われていたのを思い出し、過去の事実を検証して、上野動物園の場合は確かに軍命令はなかったが、間接的に軍の意向が反映されているのではないか、それゆえこの本の記述には誤りがあるが、そのことで価値が大きく減じることはないと思うと申し上げたのです。

今回のYMさんの詳しいご説明で、私の老化した頭でも、真意はよく理解できました。 YMさんのご意見は、ユニークかつシニカルなものが多く、いつも楽しませていただいていますが、それが時として誤解を生み、いらぬトラブルを生じたりします。そこで真意を確認するため、あえて異論を呈させていただいたわけです。

これで皆さんも、なぜYMさんがなぜそれほどまでに批判されるのか、よくお解かりになったことと思います。「かわいそうなぞう」を読んだことのある方のご意見もお待ちしています。


21353 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー YM
 最初にご紹介しいただいたのは21322 であったこと失念しており失礼しました。 また私の真意をご理解いただきありがとうございました。
こうやって相互に、時に痛烈に厳しく批判しあいながら誤解を解き、だんだんと理解が深まっていくあるいは更に高いレベルの問題と議論へと供に昇っていけるのは素晴らしいことだと思います。 その意味では、ある種、起爆剤みたいな役割も今後とも果たしていきたいと考えております。 テロリストと誤解されるかもしれませんが。

追記しますれば、数年前とでは考えが同じことあれば勉強をしながら考え方を変えていくこともありますので、よろしくお願いします。
「かわいそうなぞう」については今の私の中で重さ順にいえば
 一 作者自身のいかがわしさ、インチキさ
 二 内容の史的事実の誤り、こどもの感性に対する不誠実
 三 帝国陸海軍および権力に対する戦前から一貫した好意 とでもなりましょうか。


21357 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー TN
 残念ながら、私は『わらいそうなぞう』という作品を読んでいませんし、作者も知りません。でもテレビかなんかの番組で二度ぐらい聞いたことがあります。ぞうがえさ欲しさに自ら芸をしていたとか。さもありなん、涙をさそう話でした。この話をYM様が強烈な批判をするなんて、いったいどういうことか。  でも、三輪様の
「かわいそうなぞう」については今の私の中で重さ順にいえば
 一 作者自身のいかがわしさ、インチキさ
 二 内容の史的事実の誤り、こどもの感性に対する不誠実
 三 帝国陸海軍および権力に対する戦前から一貫した好意 というコメント。
作者と、事実と、作品の関係 作者の人格に疑問。 さもありなん。 YM様の言わんとするところ、やっと理解できました。


21361 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー YM
 メールありがとうございます。 「かわいそうなぞう」というのは、ちょうど甘くておいしくて安い不当表示の粉ミルクみたいなもので、「こんなおいしくて栄養たっぷりのミルクをなぜ批判するのだ」 という声に「実はメラミンが・・・」 という声がかき消されてしまうのです。
だから却って、皆様の印象につよく残るような書き方で注意を促した、というところです。


21363 Re「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー SI
 戦後象のいる動物園は名古屋の東山動物だけとなりました。全国の子どもたちの象を見たいといういう要望に応えるため象列車を走らすという計画が立てられ、1949年6月18日第一陣として彦根から1400人の子供たちを乗せ象列車が出ました。そういう関係から私は彦根の高校の英語教師時代英文版「かわいそうな象さん」を副教材として使用しました。細かい事実関係はともかく、生徒たちは戦争で動物たちまで犠牲になったことに驚き、平和のありがたさを感じ取ったようでした。当時、英文版平和教材としてかなりの学校で使われ、研究会などで実践報告がなされていました。


21354 象の殺害について AI
 象の殺害についての皆さんの種々の意見を読みました。 当時の情勢認識には私なりの意見を申します。 日本人は1943年には戦勝気分に酔っていたとは言えません。 5月に山本長官の戦死と国葬の放送が行われ、 その半月後にアッツ島が玉砕しました。この両者は大ニュースでして、国民に大きなショックを与えました。その半年後に更にマキン・タラワ島が玉砕しました。米軍はヒタヒタと迫ってきていました。

そこで猛獣の殺害が起こったのです。私の知っている限りでは、ドイツ、英国の動物園でも猛獣の殺害を行いました。 私は1943年に3年生として西宮市の学校から兵庫県の宝塚の遊園地に遠足に出かけたら、象舎に象がいなくて、1週前に殺害した象の皮を干していました。 我々より1週前に同動物園に行った隣の学校の話では、殺害した象の解体をしていたので、動物園中にその悪臭が蔓延して、吐き気がするほど酷かったと申していました。

文献によると、上野動物園の象は毒入りの餌を食べなかったので、係員が困惑し、結局水不足攻めにしたそうです。水をくれないので、象は最後には自分の小便を飲むほどにもなったそうです。 名古屋では象の飼育係が象は猛獣ではないと、哀訴嘆願したので、殺害されなかった。そのために敗戦後に上野動物園は名古屋動物園から象を借りて、上野駅から動物園までノッシノッシと象が進んで大変話題になりました。 その後に印度のネール首相から上野動物園は象をプレゼント して貰いました。

本格的な空襲は1944年11月に起こったのではなく、1944年6月中旬から始まっております。中部地方以東の方は知らないでしょうが、米軍は中国の成都にB29用の飛行場を作らせ、カルカッタからB29用の燃料、爆弾、焼夷弾、その他の機材を運搬し、同年11月末までに8回、主に北九州一円を空襲しております。

この第一回の空襲では大阪以西に空襲警報を発令しています。この日の夕方から西宮市でも警戒警報がなり、夜になって就寝していたら、夜中に二度も空襲警報がなって、不完全な防空壕に避難しました。それ以降は空襲の危険が迫っている地方にだけ空襲警報を発令することになりました。そうでもしないと北九州の度に空襲警報を発令していたら、西日本全域が寝不足になるからです。

1944年7月にサイパンが失陥し、そこから同11月以降には日本全土を空襲することが可能になりました。それ以降のことは皆さんもご存知でしょう。


21355 Re 象の殺害について YM
 メールありがとうございます。少しご説明が不足していたかもしれません。 昭和十八年には戦局がただならぬことが 景気のいい大本営発表にもかかわらず うすうす感じとられていたので、開戦当初の戦勝気分が消え去っていたのはおっしゃるとうりだと思います。 だから最初は「戦勝気分の余韻」というような書き方をしました。 さりとて、大空襲の恐怖が切迫して日常を脅かすほどでもなかった。 その真ん中くらいだと言いたかったのだと思います。

それから、本格的な空襲については、舞台である上野動物園の昭和18年の動物虐殺時に B29が東京上空を飛んでいたという「かわいそうなぞう」を批判して書いたものですから、これは東京に絞ってお考えください。 もちろん、ドゥリットルによる昭和17年の東京初空襲にも文脈上配慮しておりません。


21356 Re 象の殺害について YM
 AI様  ドイツと英国での動物殺害について書いておられますのですこし付加したいと思います。 これも長谷川潮氏の著書からの知識ですがドイツではすでに1941年九月の段階で英軍機によるベルリン空襲の爆弾三発が実際に動物園に命中し象、駱駝、飼育係が犠牲になっています。このことから現実問題としてトラなど多数が殺害されたのです。

バトルオブブリテンの頃ですからイギリスでも似たような状況だったかもしれません。 どちらの国にも、猛獣による市民の被害を防ぐための意志決定を行った人物がいたのですね。


21359 Re 象の殺害について N
私は1943年に3年生として西宮市の学校から兵庫県の宝塚の遊園地に遠足に出かけたら、象舎に象がいなくて、1週前に殺害した象の皮を干していました。
AIさん何でもよく憶えておられますね。私のパソコンに、1943年の初めごろ(国民学校3年生)家族で宝塚動物園に行った時の写真を保存していますが、象がいたかどうかの記憶はまったくありません。
1943年ごろは、家族で動物園に行ったり、学校で遠足に行ったりと、もちろん生活物資はかなり不足しだしていましたが、庶民の日常生活にはまだそれほどの緊迫感はなかったと思います。

ところで戦時中の動物園での猛獣処分の実態を調べて、ウェブサイトで発表している、奇特な人がいます。  「戦時中の動物園」  これによりますと、宝塚動植物園での猛獣処分は1944年3月5日とあります。これが正しいとすると、AIさんが遠足に行かれたのは、あるいは1944年3月ということになりますね。

なお宝塚大劇場が閉鎖されたのは1944年3月4日で、その後海軍に接収され、8月25日にESさんらの予科練生が奈良から移ってこられました。もちろんその頃はすでに象はいなくなっていたのですね。


21360 Re 象の殺害について AI
 ご指摘有難うございます。私の勘違いでして、1年間違っています。 4年生の時でして、1944年春でした。


21410 「そしてトンキーもしんだ」内容紹介 ya
 「かわいそうなぞう」という戦争児童書をどう評価すべきかという話で、自分の意見を書く予定でしたが、「そしてトンキーもしんだ」を読み直していたら、私などより本自体の方が厳しく語っていると思い、とりあえず紹介だけして、皆さんがこの作品に触れていただく事を期待します。 NHK番組はさとう宗幸氏(青葉城恋歌で有名)が子供に語り聞かせる形で、絵本のような静止画を交えながら進むものです。登場人物は俳優による吹き替えで喋りますので簡単なドラマ形式です。絵本よりずっと詳しい内容になっています。ここで描かれている戦時中の上野動物園での象の処分事件の経緯は以下の点で「かわいそうなぞう」と異なります。
  1. 殺害は東京都長官から命じられており、その目的は戦意高揚のためプロパガンダのため。都民に空襲の危険性を徹底して理解させるため。これはそれまで昭南市(シンガポール)の市長だった都長官の強い意志によるもので、猛獣が殺害されるさ中、動物園関係者の努力で2頭の象だけは仙台動物園への移送の準備ができていたのに、長官から移送を禁止され殺害を命令された。

  2. 都は動物の殺害を行った後すぐに積極的に新聞発表を行い、慰霊祭を開いた。これにより都民に戦争局面の深刻さを訴えるためと思われる。慰霊祭では泣いた子供もいたという。しかしその時点で2頭の象はまだ生きていた。

  3. NHK番組中で登場する軍人は1名のみでこれは、都動物園園長である! 園長は当時軍馬の管理のため召集され軍人(将校)となっており番組中、軍服姿で象処分の会議に出てくる。彼自体は処分に反対だが最後には毒薬を準備する役目を負う。

  4. NHK番組では当時の飼育係りの日記を引用する形でライオンなどの動物殺害の様子を伝えている。薬で殺し、死に切れないのを針金で絞め殺したり槍で突き殺したり、その描写は簡潔だが残酷です。

  5. 事件の日程
     昭和18年7月1日 東京都都制実施(番組中ではこれは戦争遂行をより円滑にするためと説明されている)
     昭和18年8月13日 命令があり、乱暴で扱いの難しい象ジョンの絶食開始
     昭和18年8月16日 都長官、象や猛獣類の殺害を命令
     昭和18年8月中頃 2頭の象を仙台に移送する交渉を行うが不可能に
     昭和18年8月25日 2頭の象の絶食開始
     昭和18年8月29日 ジョン餓死
     昭和18年8月末  8月中に処分を終えるよう都から催促
     昭和18年9月4日 都主催で動物慰霊法要をする
     昭和18年9月11日 ワンリー餓死
     昭和18年9月23日 トンキー餓死

  6. 絵本から抜書き
    (都からの命令について)この命令の本当の意味は、人気者の象まで殺すことで、この戦争がどんなにたいへんな事になっているかを、日本中の国民にわからせるためだったのです。(慰霊祭で)偉い人たちがかわるがわる挨拶をしています。「これが戦争というものだ。」「動物たちはお国のために死んでくれたのだ。」

    (絵本のラスト)東京に爆弾の雨が降るようになったのは、それから・・・1年と2か月も、たってからのことでした。


21413 Re: 「そしてトンキーもしんだ」内容紹介 N
 「そしてトンキーもしんだ」の詳しいご説明ありがとうございました。上野動物園における猛獣処分のいきさつがよくわかりました。土家由岐雄の作品も、神戸・諏訪山動物園あたりを舞台にしておれば、問題なかったかもしれません。 しかしこのご説明をおうかがいしても、軍隊が余り出てこない「そしてトンキーもしんだ」ならともかく、「ぐんたいのめいれいで」と明記してある「かわいそうなぞう」から、どうして次のようなお考えが出てくるのか、私にはやはり理解できません。
これではたして子供は「悪いのは軍隊だ」と感じるでしょうか? これでは、悪いのは戦争であって「日本軍は悪くない」というメッセージしか伝わらないのではありませんか?
この作品の価値観は、戦争は嫌だ、でも戦争では人がたくさん死ぬのは仕方がない、とする誤った考え方を植えつけてしまうのではありませんか?
なぜそれが危険かと言えば、その延長線上には、いったん戦争になったら、それは戦争なんだから中国人がたくさん死ぬのは仕方がないと容認してしまう。その結果、恐ろしい惨状から目をそむけ軍の犯罪性を見落とし南京大虐殺を否定する愚か者を育てる事になるのではないでしょうか?
この「かわいそうなぞう」は1970年から2002年の32年間にわたり小学校の2年生教科書に掲載されました。2年生の子の反応としては、やはり宮下春子さんの教え子のように、軍隊を「ひどい」「こわい」と感じ、そして「戦争はいやだ」と思うのがふつうではないでしょうか? これを習ったのは、今45歳から12歳の年代です。私の子供も孫も該当します。この年代で、<戦争では人がたくさん死ぬのは仕方がない>と考える人や<南京大虐殺を否定する愚か者>がそれほどたくさん育っているとは思えませんが…。


22035 「可哀想な像」の真実 TM
 本日1月28日付けの岐阜新聞夕刊に「日本近代考 歩み来て未来へ『猛獣処分』」と言う記事が掲載されていました。 記事を要約すると、
東京大学総合博物館標本研究室に保管されている 『戦時中の猛獣処分で殺された象の下顎骨』 と伝えられている標本があるが、これはあり得ない。 何故ならば、この標本は15〜20歳未満の物で、殺処分された3頭の象ジョン=23〜24歳、トンキー=21〜22歳、ワンリー=28歳ぐらいであると遠藤秀紀東大総合研究所博物館教授が鑑定した。 また、「かわいそうなぞう」には死んだ象の上空を敵機が来襲する様が描かれているが B29による東京への初空襲は1944年11月で都長官 (部署については記載されていない) による猛獣処分命令が1943年であり、命令から一年以上前である事から ありえない。 これらの事情から推察すると 『逃げ出して人に危害を加えるのを防ぐ』 と言う理由には切迫感が薄く、上野動物園初代園長を務めた古賀忠道氏(1986年死去) は,国民に戦況の厳しさを伝え、警告するのが目的だったのだろうと戦後語っている。 事実、処分を知った子供からは 「動物達を殺させた米、英を討たねばなりません。」「仇討ちをしたい。」 と言う手紙も届いた。
と言った内容です。 戦争の事実を伝える事の難しさ、戦争芸術は時には作者の思いがけない想像の産物になりかねないと言う事を改めて思い知らされた記事でありました。
22037 像について AI
 ML22035で象を殺した件が出ており、東京初空襲が1944年11月となっていますが、東京初空襲は1942年4月です。 私がML22034と22028に記載しました。この空襲を記憶しておられる方は少ないでしょう。 名古屋、神戸、東京をB25で空襲しました。私の上記のMLを参考にして下さい。 それ以上については早乙女さんの文献等が良いでしょう。

動物園の猛獣を殺したのは東京だけではなく、大阪、名古屋も同じです。 ただし名古屋では象を殺さなかったのです。 名古屋動物園の象の飼育係が 「象は猛獣ではない」 と哀訴嘆願したので、殺さなかった。 それで戦後に名古屋の生き残った象を東京に運んでもらって、「象列車がやってきた」 という有名な逸話を生んだのです。 映画にもなりました。 上野駅から上野動物園までノシノシと歩いたそうです。

当局は空襲の切迫感を感じさせるために、猛獣をまず殺して、庶民に空襲を啓蒙したのですが、「勝っている、勝っている」 と報道するから、空襲の切迫感がなかったのです。 猛獣を殺したことはロンドンでも行っており、多分1942年に英国から帰国した吉田茂英国大使、辰巳中将などが 日本でも行うことを進言したのでしょう。


22038 Re:像について TM
ML22035で象を殺した件が出ており、東京初空襲が 1944年11月となっていますが、東京初空襲は1942年4月です。 私が ML22034と22028 に記載しました。 この空襲を記憶しておられる方は 少ないでしょう。
岐阜新聞の記事をそのまま記入しましたので調べもせず申し訳ありませんでした。 1943年9月4日には上野動物園の多くの動物が殺処分され、「時局捨身動物」 として慰霊祭が催され、23日に象のトンキーが飢餓死したと記載されています。
22039 Re:像について BB
 「戦争と宗教」のスレッドで応答してくださった方々に返信しなきゃとおもって、いろいろ頭の中では考えていたのですが、それをそのまま書けば、このMLの主になってしまいそうなほどに大量の投稿をしてしまいそうな予感がしまして、さてどうしようかと思い悩んでいたところに、きょうのロンドン動物園の話が眼に入り、どうにもこの問題が気になって仕方ない状況に陥りました。
猛獣を殺したことはロンドンでも行っており、多分1942年に英国から帰国した吉田茂英国大使、辰巳中将な どが 日本でも行うことを進言したのでしょう。
と、岩本さんがお書きになっていますが、ぼくの記憶にある話とは、だいぶ違っているようです。 ロンドン動物園は、ロンドン動物学協会が管理していますが、その協会はロンドン中心部から40キロほど離れたWhipsnade(日本語ではホイップスネイドと呼ぶそうです)という村に広大な土地を所有していまして、ロンドン動物園の動物たちは、戦時中、その場所に疎開していたはずです。

かつてぼくがある掲示板で投稿するたびにウヨクに絡まれていた頃、英国の動物愛護事情などをちょっと話題にすると、決まって英国の悪口を書いてくるウヨクがいたものです。 本当に事実であれば、男は黙って札幌ビールでいくしかないのですが、まるで上野動物園と同じように、ロンドンでも動物が殺されたかのようなお話を聞くと、お茶ものどを通らなくなってしまいそうなほどにショックなのです。 ですから、この際、その情報の出所を確認したいとおもいまして、こうしてまた登場した次第です。
もちろん、AIさんが特別に英国に対して、ウヨク的と言いますか、会田雄次的と言いますか、何か偏見を持っているなどとは、ぼくは想像すらしていませんが。


22042 Re:像について YM
 象のことは以前にさんざん書きましたので繰り返しませんが、殺戮を命じたとされる大達茂雄 東京都初代長官は その前には昭南市長を務めており南方の状況に詳しかったこと、したがって、本土空襲は必至であることを国民に無言のうちに知らせる意図があったのではないか、という証言もあります。TMさんのいわれるように、慰霊祭には生徒・児童が動員され新聞でも大きく報道された結果、こどもたちから 「米英を撃滅して象の敵討ちをする」 といったような反響もあり、プロパガンダとしては成功したようです。 こんな自分勝手な人間の都合で殺戮された象の運命こそ悲惨で哀れです。
22043 Re:像について YM
 ロンドンの動物園ではなく ベルリンの動物園でならば、英軍の空襲で象や駱駝などが直撃され、さらにいきり立った猛獣に飼育係が殺されており、現実の問題解決策として動物の殺戮は行われたようです。
22045 像について AI
 「ロンドンでも象を殺した」と書いたのは私の誤記でして、BBさんのとおり、英国では Whipsnade に動物を疎開させていたそうです。 ベルリンの動物園は市の中心にあり、 空襲は必至です。 実際には空襲で同動物園は木っ端微塵になり、生き残った動物は 元の動物数の2〜3%でした。 空襲で死亡したライオンもいたそうです。 
シンガポール市長から東京都知事に就任した大達氏が動物の毒殺を指示しました。 同氏は 「空襲時に動物が檻から出てきたら大変」 という発想で、これを命令しましたが、同氏はシンガポール市長として 「勝ってる、勝ってる」 という報道で国民に空襲の切迫感が乏しいことに警告を発したかったそうです。


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